四国遍路巡礼の魅力はなんだろう、と思った時に浮かんだのは、ひとつは「人との出会い」なんですが、ひとりで歩いた場合には、「一人になれること」だったかなと思います。
通学時間に歩いていると、出会った子どもたちが「お早うございます」と声をかけてくれたりするんですが、山道に入れば誰とも出会わない。
焼山寺への道みたいな難所で足をくじいて誰にも会わなかったらどうなるんだろう、などと思いながら歩いてました。
全くのひとり、という感じになるんですね。
普段の生活ではこういうことはあまりなくて、サラリーマンの時は携帯電話を持っているわけですから、誰の監視の目もなく一人になることなどないわけですし、事務所に居れば回りに人がいるし家に帰れば家族がいるわけで、常に誰かとすぐに繋がることが出来る状態なわけです。
しかし、遍路をしていたりするとそういうのはない。
上司から電話がかかることもない、同僚に会うこともない、本当に誰にも合わない。
宿に泊まってもそれは一泊だけのことで次の日にはまた違う宿に泊まる。
集団に帰属しているという定着感がないわけです。
そういうのが良かったかなと。
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四国遍路巡礼の魅力と人生
考えてみると小さい時から社会人になるまで、常にどこかの集団に帰属していたわけです。幼稚園、学校、会社、地域。しかし、四国遍路巡礼のような旅に出るとそういうものから解き放たれたような気分になったことは確かです。
自分自身、あまり集団生活が好きでなかったので、どこにも帰属せず、かと言ってどこの誰だか分からないのではなくて、一応は、お遍路さん、という、この立ち位置は結構良かったかなと。
トータルで45日間程度と長いような短いような期間ではあったのですが、人生に対する影響ということでは相当大きい物がありました。
具体的なことはないんですが。
ひとりでも歩くことぐらいは出来る、しかし、どれだけ多くの人に助けてもらっているかということもよく分かる。
逆に言うと、多くの人の助けなしに歩くことは出来ないんだけれども、前進するなら自分の足で歩くしかない。
どんなにサポートがあってもやるのは自分、みたいな感じでしょうか。
小さくてもかけがえのないもの、とも言えるでしょうか。
歩いている時はそんなことを考えているヒマはありませんでした。とにかく次の宿にいつ到着するのか、ということばかりでしたから。
しかし、今振り返ってみると色々体験させてもらっていたんだと思うわけで。
12年も経過して、そんなことを思い出すというのが、遍路に魅力があるからなのかもしれません。