いくら弘法大師に会いましたといっても生身のお大師様に会ったわけではありません。この人は弘法大師の化身ではないだろうかと思うような人に出会った、ということです。
しかも、それは自分が勝手にそう思っているだけで、実際のところどうなのかは全く分かりません。もしかするとその一瞬だけ弘法大師が顔を見せてくれていたのかも、と思ったりしています。
四国巡礼で弘法大師じゃないかと思った人
小雨が降りだした時に車にのせてくれたおじいさん
徳島の19番立江寺に向かう途中、もうちょっとでお寺に到着、というところで小雨が降り始めました。その時、おじいさんが、「車に乗りませんか」と言ってくれました。
遍路をしていて雨は厄介なんですが、こういうタイミングで車に乗せてもらえて、とてもありがたかった。自分の場合完全に歩くとか目指してなかったですし、もうちょっとというところだったので余計にありがたかったわけです。
そしてそのおじいさんの車に乗せてもらったところ、おじいさんが言うには、「お遍路さんはみんな弘法大師に見える」ということでした。
そこで思ったわけです、ああ、こういう人が仏に近い人なんだと。この人が弘法大師じゃないのかと。ちょっと困ったときにスッと出てきてちょっと車に乗せてくれて、あなたがお大師様に見える、というとか。
このタイミングの良さ、程よい感じ(目の前にお寺があるのに乗せてもらうのはおかしいし、あまりにも長距離乗せてもらったら歩いている意味が無い)。
ちょっとだけ助けて欲しい時に助けてくれた人。
四国遍路でなくてもこういう人はいるわけですが、非日常の四国巡礼だからこそ、もしや、と思ってしまったわけです。
自転車を押しながらただ一緒に歩いてくれたおじいさん
これもどうってことない話なんですが。
仙遊寺に向かう道でおじいさんに会いました。仙遊寺までいくんだと。それで道案内をしてくれると。ありがたいことだと思い、おじいさんと一緒に歩きました。
おじいさんは自転車を押しながら特に何の話もせずただ歩いただけなんですが、ただ歩いただけがなぜかとてもありがたいと思えたのでした。
あとから思うとこういうのも同行二人だったのかなと。
【スポンサードリンク】
四国遍路はお接待
四国遍路をするとお接待というカタチでいろいろな人と出会います。その人自体がどうということはないのでしょうが、その時の自分の状況や、出会い方のシチュエーションで大したことないことでも感動したりします。
日常生活でただ歩いていてもなかなかこうは行きません。
随分昔のエピソードなわけですが、思い返してみると、遍路の旅ではずっと弘法大師と出会っていて一緒に歩いているのにそれに気がついていないだけなんだと思ってしまうわけです。
2016年は四国遍路1200年、しかも逆打ちの年。ご利益は例年の5倍になるんだとか。
沢山の弘法大師の化身に出会えるのかも知れません。
コメント