紅葉狩りの意味

秋になれば紅葉狩り。いいですよね~。ところで紅葉は鑑賞するのになんで「狩り」っていうんでしょうか?つまらない事が気になり出しました。きっと由来があるに違いない!ということで調べてみましょうかね。

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紅葉狩りの意味と由来

さて、紅葉は見るものなのになぜ狩りになったのか?調べてみるとこんな感じです。

ひとつは、「狩り」は元々動物を「狩り」に行ってたのですが、そのうち植物などを「収穫」する意味になり、さらに何かを「眺める」という意味になっていったんだとか。

ぶどう狩りとかいちご狩りなんかは「収穫する」という意味でしょうし、考えてみれば、「稲刈り」も「かり」ですから、何かを「とる」、「採取する」という意味だったのかもしれません。

そして、写真を「撮る」というのも「とる」になるわけですから、そのへんがつながってくるのかも。

ただ、日常、鑑賞の意味で「狩り」を使うのは、紅葉狩り、くらいでしょうか。昔は「お花見」が「桜狩り」と言われた事もあったそうですが、今では言われなくなりました。花は見て愛でるもので、葉っぱは見て狩るもの、という区別でもあるんでしょうか。

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その他の説では、山に何かを採りに入ることを「狩り」と言ったので、紅葉を鑑賞するために山に入ったから「紅葉狩り」になったというのもあるようです。

確かに、言われてみればそのとおり。

動物を「狩り」に行く、のと、山に「狩り」に行く、のがどっちでもいいじゃん、みたいになってたら、紅葉を見に山に入るんだから、「紅葉狩り」だろ、ということになりそうです。

能にも紅葉狩りがある

能のことなんて全く知らないんですが、どうも「紅葉狩」という演目があるようです。

内容はさっぱり分かりませんが、ウィキペディアによると、

場面は信濃国戸隠である。前シテ一行の道行きで幕を開ける。若い美女が数人連れ立って紅葉見物にやってきた。絶景の中、地謡前に幕を巡らし宴会となる。次いで馬に乗り供の者を従えたワキが登場する。鹿狩りにやってきた平維茂の一行である。橋懸りでの道行きの後、楽しげな宴会が開かれているのを発見した維茂は、供の者に様子を見てこさせる。アイとの問答があるが、美女一行は素性を明かさない。そこで維茂は馬を降り通り過ぎようとするが、シテが現れ、どうかお出でになって、一緒に紅葉と酒を楽しみましょうと誘惑する。

無下に断ることもできず宴に参加した維茂であったが、美女の舞と酒のために不覚にも前後を忘れてしまう。シテの舞う美しい中ノ舞は突如激し急ノ舞となり、美女の本性を覗かせるが、維茂は眠ったままである。女達は目を覚ますなよと言い捨てて消える。

ここで場面は夜となる。アイによる八幡宮の神が現れ維茂の夢中に、美女に化けた鬼を討ち果たすべしと告げ、神剣を授ける。覚醒した維茂は鬼を退治すべく身構え、嵐と共に炎を吐きつつ現れた後シテ(面は顰または般若)と丁々発止、激しい攻防の末ついに鬼を切り伏せることに成功する。

ということで紅葉狩りに行った平維茂が美女に化けた鬼を退治するという物語のようですが、紅葉を背景にした戦闘シーンが美しいということなんでしょう、多分。

気になるなら、DVDがアマゾンで売ってますからどんなものかチェックしてみてもいいかも。

観世流能 紅葉狩(もみじがり) -鬼揃- [DVD]

これ、同じ題材で歌舞伎にもなってるんだとか。

それと、解説を見てみると、鬼というのはだいたい女の妄念から出てくるものなんだそうで、改めて女性の妄念とか怨念とかは恐いなと思ったり。

紅葉の赤と妄念の炎の赤が重なってくるあたりがいいのかなと思ったり。

自分としては、もみじの天ぷら、の方がいいかな~

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